今日、お見せするのは皇居東御苑に今年も咲いた「はるかのひまわり」です。
私のブログでは2006年から毎年お届けしていますのでご記憶の方も多いでしょう。

はるかのひまわりというのは
1995年1月17日午前5時46分に起こった阪神・淡路大震災で亡くなった、 小学6年生の「加藤はるか」ちゃんのことです。はるかちゃんが飼っていたハムスターと、隣の仲良しのオウムに餌として与えていたひまわりの種が、彼女の亡くなった場所からその年の夏にたくさんのひまわりが咲いて周囲の人を驚かせました。
地域の人たちはそのひまわりに亡くなった彼女の名前をつけて「はるかのひまわり」と呼び、震災からの「復興」と、亡くなった人への「慰霊」の思いを込めてひまわりを咲かせ続けています。

そして、2005年1月に阪神淡路大震災10周年追悼に訪れた際、
遺族代表の小学生から天皇皇后両陛下に贈られ、
御所にお持ち帰りになられ、御所にでお育てになりました。
御所に咲いたひまわりの種を東御苑にも蒔いて2006年から花を咲かせています。

そして、今日8月11日は3月11日に発生した東日本大震災から5ヶ月の日。
まだまだ行方不明者も大勢いらっしゃいます。
この猛暑の中、避難所生活を余儀なくされている方々も大勢いらっしゃいます。
地震の被害だけでなく福島第1原子力発電所の事故でも、避難を余儀なくされたり、避難したくても出来なかったり、家族が離れて暮らさなければならなくなったりと実に多くの方々がいまだ不安の中で生活しています。
その震災から5ヶ月の今日。
東北の太平洋沿岸で、「追悼」と「復興」の意味を込めて、一斉に花火を打ち上げるプロジェクト「LIGHT UP NIPPON」が行われます。
はるかのひまわりのようにたくさんの希望の光となることを願います。
阪神・淡路大震災と東日本大震災の間には地震による被害や台風や大雨による被害など数多くの自然災害が起き、たくさんの方が亡くなられています。
いろいろな災害の記憶を様々な形で風化させぬよう伝えていかなければなりません。
この「はるかのひまわり」を撮影に行ったのは8/6です。
そう、広島に原子爆弾が投下されたのと同じ日。
8/9には長崎にも投下されました。
この悲惨な戦争の記憶もまたけっして風化させてはならないものです。
それから66年。
今また、放射能という見えないものに脅かされています。
あらためて核というものは人間の手に負えるものではなく、共存は難しいとつきつけられました。
エネルギー問題を始め、家族のあり方について、地域社会のあり方について、本当にいろいろな意味でこれまでの社会の反省とこれからの社会のあるべき姿について真剣に向き合わなければいけない時なのだと思います。
ほんとうの幸いって何か、みんなで考えていかなければいけないのではないかと思います。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」(宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」より)
「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
(宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」より)
岩手を代表する宮沢賢治がいろいろな作品で求めた「幸い」
今あらためて自分なりに考えてみたいと思います。
あらためて、犠牲になられたたくさんの方のご冥福をお祈り致します。
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