2020年03月26日

北野天神社 夜桜あかり2020

昨年から行われている所沢市にある北野天神社の桜のライトアップ「夜桜あかり」。
今年は桜の開花が早く、3/22から行われていますが、新型コロナの影響を考慮して、週末の宮司さんによる笛の演奏などの催し物はなく、開花期間中は日没から20:30までのライトアップのみになります。
3/25に見に行ってきました。

人もほとんどいなくて静かなライトアップでした。
北野天神社夜桜あかり

こちらの桜はこの日はライトアップされておらず、電灯のあかりでしたが雰囲気がいいですね。
桜と拝殿

静かに暗い空に浮かび上がる桜は厳かでした。
北野天神社夜桜あかり2

手作りの竹灯篭とライトアップされた桜です。
DSCF26660.JPG

北野天神社の印である梅の花を開けた竹灯篭と桜です。
竹灯篭と桜

見に行った時に灯されていなかった明かりは雨が降らなければ、週末には灯されます。
雨が降らないといいですね。

神社の詳細は
北野天神社HP https://kitanotenjin.com/ を御覧ください。

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2020年03月02日

梅の花咲く北野天神社(2/24)

もう1週間以上前(2/24)の写真になってしまいますがお届けします。

駐車場がある側の、西参道から入るのですが、鳥居脇の紅梅が見頃となっていました。
鳥居と紅梅1

鳥居と紅梅2

手水舎脇の白梅と拝殿です。
手水舎と白梅

手水舎の白梅と本殿

本殿前の白梅と本殿です。
白梅と本殿

昨年は2/17に訪れ、まだチラホラしか咲いていない状況だった北野天神
今年は2/24に訪れた段階では、もう見頃となっていました。
大納言梅

掛けられた和歌と大納言梅です。
大納言梅2

本殿前の神馬と大納言梅です。
神馬と大納言梅

境内の紅梅と掛けられた和歌越しに見た本殿です。
紅梅と本殿

これから見に行こうという方もいるかも知れませんが、もう1週間以上が経ち、暖かい日も続いているうえに、今日は雨が降りましたので見頃は過ぎてしまっているかもしれませんね。

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2019年08月05日

北野天神社 七夕飾り

連日暑い日が続きますね。
この暑さの中、小手指にある北野天神社まで自転車を走らせてきました。
というのも、桜のライトアップ「夜桜明かり」でお世話になった方に、七夕飾りを奉納しましたと連絡を頂いたので、私も願い事をと行ってきました。

拝殿の前に七夕飾りが奉納されています。
七夕飾りと拝殿

拝殿両脇の七夕飾りです。
あまり知られていないためか、飾られた短冊はまだ少なかったです。
七夕飾り1 七夕飾り2

飾りの前には短冊やペンが置かれ、自由に書き込んで飾ることができます。
私も願いを書いて奉納してきましたよ。
短冊

8/7の七夕まで書くことができるようなのでお近くの方は是非足を運んで、願い事を奉納してくださいね。
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2019年07月22日

第11回野老澤行灯廊火(ところさわあんどんろうか)

7/20(土) 所沢駅付近の市街地に数多くの地口行灯を並べ、幻想的な夏の夜の風景を楽しみ、所澤神明社境内に200余個の行灯が並びます。さらに、市街地では模擬店や、アイドルライブ、きもだめしなどのイベントも行われる、第11回野老澤行灯廊火(ところさわあんどんろうか)が催されました。
私が見に行ったのは所澤神明社境内の行灯です。

行灯で灯された西参道の階段です。
第11回野老澤行灯廊火 西参道

第11回野老澤行灯廊火 参道駅に近い側の正面参道もきれいに灯されていました。
お正月以来の人出で人が多くてなかなかきれいに撮れないんですよ。


階段を登ると、たくさんの行灯が灯されていました。
第11回野老澤行灯廊火1

さらに階段を登って、下を見下ろしてみました。
第11回野老澤行灯廊火2

所沢市の公式キャラクター「トコろん」も来ていました!
トコろんと野老澤行灯廊火

少し人が減ったところを狙って、撮影してみると、天の川の様に見えませんか?
第11回野老澤行灯廊火3

この第11回野老澤行灯廊火は20:30までなのですが、20時を過ぎたので、家路へと自転車を走らせ始めると、ポツポツと雨が降り出してきたので、車に気をつけながら15分ほど自転車を飛ばし、なんとかそれほど濡れずに帰れました。

会場の人が話しているのを聞くと、今年は人が多いなぁと言っていました。
夏休みに入ったばかりの土曜日だし、天気もそれほど良くなかったので、出かけなかったのかもしれませんね。
とはいえ、せっかくの地元のイベントなので、多くの人に見に来てもらえるといいですよね。

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2019年05月23日

南永井さつまいも始作地之碑

冬に走り回って撮影していたストックからお届けします。

今回は「南永井さつまいも始作地之碑」です。

さつまいも(甘藷)は江戸時代初めに日本に伝来し九州に広まったと伝えられています。
痩せた土地でもよく育ち旱魃にも強い救荒作物として、八代将軍吉宗は青木昆陽に指示して栽培を奨励。
享保年代から江戸近辺でも栽培されるようになりました。

南永井村は、江戸時代に開拓されましたが、地力が低いうえ灌漑用水が乏しかったため夏の旱魃には特に弱い土地でした。
寛延四年(1751年)に南永井村の吉田弥右衛門(よしだやえもん)が、息子の弥左衛門(やざえもん)を上総国志井津村(現千葉県市原市)に種いもを買い付けに行かせ、200個のさつまいもを栽培したのがこの地でのさつまいも栽培の始まり。
最初は飢饉に備えて作られましたが、すぐ農家の自家用の食料として積極的に作られるようになりました。
のちには江戸にたくさん現れた焼き芋屋用のいもとして作られるようになり、貴重な現金収入源になりました。
近くの川越から舟運によって江戸に出荷されました。
このため集散地である川越の名を取って「川越いも」の名で知られるようになりました。

路地を入った畑地と倉庫などがある中の吉田家の入口に、石碑などが並んで建っています。
さつまいも試作地の碑

埼玉県史跡[南永井さつまいも始作地之碑(昭和27年)(右)と、 文化財保存の辞(昭和30年)(左)です。
さつまいも試作地の碑 石碑

これがさつまいも始作地の碑です。
さつまいも始作地の碑

案内板です。
さつまいも始作地の碑 案内板


中富にある神明社には、青木昆陽と吉田弥右衛門を『甘藷乃神(いものかみ)』としておまつりしたいも神社があります。




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2019年04月19日

三富・富岡総鎮守 神明社

今回は、埼玉県所沢市中富にある神社「神明社」をお届けしますが、所沢駅近くにある所澤神明社とは異なります。
明治の神仏分離令に寄って分けられた多聞院が隣りにあります。

神明社(埼玉県所沢市中富1507)


元禄9年(1696年)に柳沢吉保(当時川越藩主)が三富新田として上富・中富・下富村を開村した際、一寺一社の制に基づき開拓農家の檀家寺として上富に多福寺を、また中富に祈願所・鎮守の宮として毘沙門社(・多聞院)を創建した。 後に近隣地域より神明社を含む後述の「合祀七神社」を正式に勧請し、1869年(明治2年)[西暦年要検証]の神仏分離令によって西側の境内は当神社として、また東側は寺院(多聞院)としてそれぞれ独立し、今日に至っている。

また1928年(昭和3年)3月に埼玉県史蹟保存として三富開拓遺跡に指定されている。 (Wikipediaより)

御祭神は
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
誉田別尊(応神天皇)(ほんだわけのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
進雄命(すさのおのみこと)

「富(とめ)の神明様」と呼ばれています。
富の神明様の鳥居

鳥居の脇には大きな桜の木が咲いていました。
鳥居と桜

手水舎と神楽殿です。ここにも桜が咲いていました。
神楽殿と手水舎

拝殿です。
富の神明様拝殿

境内には天神社も祀られています。
富の神明様天神社

本殿の隣にいも神社が祀られています。
いも神社は、甘藷乃神(いものかみ)として吉田弥右衛門と青木昆陽を祀っています。
吉田弥右衛門が青木昆陽から遅れること16年のの寛延4年(1751)にこの地でさつまいもの試作を行い、はじめは飢饉対策として、後に江戸にたくさん現れた焼き芋屋用の芋として商業用に作られるようになり、「川越いも」の本場はここなんです。
平成18年11月23日、作り初め255周年を記念して、弥右衛門さんの功績を称えるとともに、関東のサツマイモ作りの元祖である甘藷先生と合わせて『甘藷乃神(いものかみ)』としておまつりするようになったそうです。
いも神社

『甘藷乃神(いものかみ)』です。
いもの神

公共交通機関で行くのはかなり大変なところで、一番近いバス停からも15分程度歩くようなので地図で確認して足をお運びください。



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2019年04月10日

桜咲く熊野神社

4/6には午前中に多聞院へ花を見に行き、午後は東川沿いの桜見物をしました。
東川を所沢側から下っていくと、すぐに熊野神社があります。
ちょうど、所沢航空記念公園の辺りになります。

熊野神社(埼玉県所沢市西新井町17-33)
西武新宿線航空公園駅から徒歩12分
西武新宿線・池袋線所沢駅から徒歩11分

熊野神社の創建年代等は不詳。
中氷川大明神の者が、新井郷(旧上新井・下新井)の惣社として創建、鎌倉時代から続く社家の三上山城守清定が長禄3年(1457)再興したといいます。
明治5年村社となり、明治43年当社の南正面に鎮座していた向日神社、字上原の十殿神社、字武蔵野の八雲神社を合祀したといいます。

祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・須佐之男命・大名牟遅命・少毘古名命・倉稲魂命・天津彦火瓊々杵命・木花開那姫命・天兒屋根命・天太玉命

境内の桜が咲き誇っていました。
下新井熊野神社

境内の拝殿の写真は紹介しようと桜が咲く前に撮影していたものを使用します。

拝殿です。
熊野神社社殿

参道右手にある境内社です。
境内社子安諏訪神明八幡愛宕

拝殿右手に祀られている八雲神社です。
境内八雲神社

拝殿左奥にも境内社が祀られています。
境内社弁天稲荷八雲日の宮幡織姫命

この神社で大事なのは二ノ鳥居の注連縄で作られた大蛇です。
4/6に撮影した桜とともに。
注連縄大蛇

この注連縄で作られた大蛇は、
子供たちが御神木に棲む白蛇を見ると原因不明の病にかかるため、毎年大蛇のお姿を大切に祀るようにしたら災いは起こらなくなったとそうです。
古い大蛇は古札と共にお焚き上げられ、その火に当たると一年間無病息災で過ごせるといわれています。
桜と大蛇です。
桜と大蛇

所沢航空記念公園のすぐ南側に位置しているので、公園に遊びに来たついでに足を伸ばして参拝されてみてはいかがですか?



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2019年03月28日

北野天神社 夜桜のライトアップが行われます!

所沢市内の桜の名所を求めて右左。
北野天神社にある尊桜(みことざくら)は咲く頃かなぁと見に行ってきました。
結論から言うと、尊桜はまだ咲いていませんでした。

拝殿周辺のソメイヨシノは5分までいかないぐらいの咲き具合したが、とてもきれいでした。
夕方近くの撮影で樹木で日差しが遮られているのでちょっと暗めで桜が目立ちません。
北野天神社のソメイヨシノ

拝殿と桜です。
北野天神社 拝殿と桜1

この北野天神社ですが、なんと夜桜ライトアップが行われると案内がありました!
拝殿前に案内がありました。
毎日ではなく、3/30,31、4/6,7の4日間。日没から20時半までとのこと。
北野天神社 ライトアップ案内

撮影していたら、準備をされている方にいろいろ教えていただきました。
拝殿前に二股に別れた大きなソメイヨシノがあるのですが、樹齢70年を迎え、60年程度といわれているソメイヨシノの寿命を過ぎているため、いつ樹勢が衰えるかわからないので、きれいに咲いてくれている時に、多くの方に見てもらいたいと今年から行うとのことなんですよ。
つまりはじめてのライトアップが今週末から行われるんです。
ただ、照明の関係で雨が降ると中止せざるを得ないとのことです。
30日は天気予報では一時雨のようで、降る時間によっては中止になってしまうので、なんとか降らないでもらいたいですね。
もしかしたら4日間以外にもライトアップするかもしれないとおっしゃっていました。

大きなソメイヨシノがこちら。
北野天神社 大きなソメイヨシノ

どのようにライトアップされるか楽しみです。

駐車場はありますが、数台しか止められないので、駅からバス等で行くことをお薦めします。

北野天神社 (埼玉県所沢市小手指元町3-28-29)
西武池袋線小手指駅発西武バス小手01・06系統「北野天神前」下車すぐ


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2019年03月22日

永源寺

先日、雪割草をお届けした永源寺をちゃんと紹介いたします。

永源寺(埼玉県所沢市久米1342)
西武池袋線西所沢駅から徒歩10分
西武池袋線・新宿線所沢駅から徒歩22分

永源寺は大龍山永源寺と号する曹洞宗の寺院で、大石信重が南北朝時代に創建、由木城主大石定久の叔父で由木永林寺を開山した一種長純大和尚(永禄8年1565年寂)が開山したといいます。

永源寺の門前です。
永源寺

永源寺子育延命地蔵尊門の脇に建つ子育延命地蔵願王尊です。


山門の奥に本堂です。
永源寺山門

青面金剛明王庚申様山門をくぐると、すぐ右手、子育延命地蔵尊と背中合わせに青面金剛明王(庚申様)がありました。


石灯籠の奥に本堂があります。
永源寺本堂

本堂の左手には六地蔵菩薩があります。この奥側が墓地になります。
永源寺六地蔵菩薩

永源寺大石信重墓塔本堂裏の墓地内に所沢市指定有形文化財である大石信重墓塔があります。




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2019年03月15日

新光寺

今回は新光寺をお届けします。

新光寺(埼玉県所沢市宮本町1-7-3)
西武新宿駅航空公園駅から徒歩12分
西武池袋線・新宿線所沢駅から徒歩15分

新光寺は遊石山観音院と号し、本尊の聖観世音菩薩は、行基菩薩の作と伝えられています。
建久4年(1193)に源頼朝が那須野へ鷹狩りに行く途中にここで昼食をとった折り、その時仮小屋の地を寺に寄進したといわれています。その後この辺りは戦場となり荒れ果て頼朝寄進の土地もかすめ取られてしまいましたが、新田義貞が鎌倉攻めに向かう途中にこの寺で戦勝祈願をし北条氏を討ち帰途再度立ち寄り黒塗りの乗鞍を奉納し、かすめ取られた土地を寄進したと伝えられています。

竜宮城のような山門(龍宮門)です。
山門脇にハクモクレンが咲いていました。
新光寺山門

この山門は空いていないけど、すぐ脇から入れます。
入るとすぐ左手には「三界萬霊塔」や「延命地蔵尊」「北向延命地蔵尊」があり、地蔵曼荼羅があります。
新光寺地蔵群

地蔵曼荼羅の前には枝垂れ桜があり、名所となっていて、見頃になると多くのカメラマンが訪れるそうなので、私もその一人になって左営してきたいと思っています。お楽しみに!
新光寺の枝垂れ桜

地蔵曼荼羅の隣には福寿稲荷社があり、その脇には石仏が集められていました。
新光寺・福寿稲荷社

境内の中央には「慈眼観音」が立っています。
その奥には保存木である大きな銀杏の木が寄り添っています。
新光寺慈願菩薩

その奥には八角円堂があります。
新光寺観音堂

八角堂の右手の奥まったところに観音堂があります。
本堂がちょっと可愛そうでした。
新光寺観音堂

八角円堂の脇のこの通路、この下には何があると思いますか?
この下には東川が流れているんですよ。下の地図を見ていただけるとよく分かると思います。
新光寺東川



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2019年03月08日

所澤神明社

所沢と言ったら、所沢を見守る大事な神社を最初に紹介しなければならなかったのですが、ようやく紹介させていただきます。
それが「所澤神明社」です。
私の甥っ子はここで七五三のお参りをしたんです。

所澤神明社(埼玉県所沢市宮元町1-2-4)
西武池袋線・新宿線所沢駅西口から徒歩15分
西武新宿線航空公園駅西口から徒歩6分

所澤神明社は所沢市宮本町にある神社で、日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定の折にこの付近で休憩をした際に、天照大御神をお祀りし、戦勝祈願をされたことが始まりとされています。

所澤神明社は東・西・南三方に鳥居と参道があります。
こちらは南の一の鳥居です。左手に御神木の大きな樫の木があります。
所澤神明社一の鳥居

一の鳥居右手に人形殿があります。
所沢は、人形や羽子板の製造が盛んな「人形の街」であることから、毎年、6月の第一日曜日に「人形供養祭」が開催されています。人形供養を行ってくれる貴重な神社です。
所澤神明社人形殿

一の鳥居をくぐって階段を登ると、すぐ右手に蔵殿神社があります。
所澤神明社蔵殿神社

さらに階段を上がると左手に手水舎、正面に拝殿、右手に神楽殿があります。
所澤神明社手水舎 所澤神明社神楽殿

所澤神明社拝殿

神楽殿の右手には所澤招魂社があります。
所澤神明社所沢招魂社

神楽殿の左手、拝殿の右手には鳥船神社があります。
別称、所澤航空神社。
御祭神は、鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)(天鳥船神(あめのとりふねのかみ))

御祭神の鳥之石楠船神は、イザナギ命・イザナミ命の御子神で、別名を天鳥船神。

御祭神の鳥之石楠船神は、伊邪那岐命・伊邪那美命の御子神で、別名を天鳥船神と申し上げます。高天原と豊葦原中国(日本)との間の天空を鳥のように通う丈夫な船に坐し、大国主神の國譲りに際して建御雷神に副えて遣わされ、また、天孫降臨に先立つ邇芸速日命の天降りの際にも御乗船になったと伝えられています。
このような御事蹟により、近代以降には航空の神としても崇敬されています。
当社は、この所沢の地に我が国初の飛行場が造られ、徳川好敏大尉による初飛行という快挙が成し遂げられた明治四十四年から百年を迎えたのを記念して、平成二十三年十月に創建されました。
我が国航空発祥の地に鎮り坐す、航空安全・交通安全の神社、八百萬の神々が鳥船に乗って降臨される神社、人々の願いを鳥船に乗せて高天原にお伝え下さる神社です。(境内掲示より)

願を込めた「折鶴」や「紙飛行機」が供えられています。
今でも航空関係者が安全を祈願するために訪れることがあります。
所澤神明社鳥船神社 所澤神明社鳥船神社2

所澤神明社鳥船神社の碑 所澤神明社鳥船神社御由緒

拝殿の左手には諸神社が合祀されていました。
左から、戸隠神社・疱瘡神社・瘡守稲荷社・稲荷社・八雲神社・大国主神社・天神社、水天宮・雷電社・琴平神社・五龍神社です。
所澤神明社諸神社

拝殿左手にはカンヒザクラが、階段下にはしだれ梅が咲いていました。
所澤神明社カンヒザクラ 所澤神明社しだれ梅

しだれ梅がある段には富士講碑、三ヶ島葭子の歌碑がありました。
三ヶ島葭子は明治19年生まれで、埼玉県入間郡出身の女流歌人。俳優の左卜全は異母弟。
「しみじみと 障子うすぐらき まどのそと 音立てて 雨のふりいでにけり」と刻まれています。
所澤神明社 所澤神明社三ヶ島葭子の句碑

所澤神明社大ケヤキ西参道には外周二丈有余で樹齢千年を越える老木の大ケヤキがあります。ほんとに大きくて、その姿に神々しさを感じました。




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2019年03月04日

北野天神社 その2

北野天神社の2回目です。

拝殿の回りに配置されている北野天神社に合祀された神社等を紹介します。

拝殿に向かって右手にある諸神宮です。
北野天神社 諸神宮 北野天神社 諸神宮名札

諸神宮の左手には文子天神社(はた神様)があります。
北野天神社 文子天神社 北野天神社 文子天神社名札

拝殿の左手に、小手指神社・稲荷神社・八雲社があります。

小手指神社
日清日露の両戦役から終戦に至るまでの間に参戦した英霊を祀った社です。
社殿の右前に航空神社跡の案内標が立っています。
昭和13年6月以来、航空軍士官学校(現・入間基地)に、空の守り神として「航空神社」がありました。終戦で米軍が進駐してくるので、当時宮司を務めていた栗原亮介氏は、北野天神の宮司も務めていたので、戦没者4950柱と共にここに遷宮したのだそうです。
北野天神社 小手指神社 北野天神社 小手指神社名札 北野天神社 小手指神社・航空神社の碑

小手指神社の右手に鳥居があって、その奥に稲荷社と八雲社が並んでいます。
北野天神社 稲荷社・八雲社鳥居 北野天神社 稲荷社・八雲社

石宮神社・水天宮
小手指神社の右奥、西の鳥居から続く参道脇に石宮神社があり、水天宮も合祀されています。
北野天神社 石宮神社・水天宮  北野天神社 石宮神社・水天宮2

宗良親王遺跡です。
案内板には小手指ヶ原合戦とありますが、元弘3年(1333年)5月11日に行われた新田義貞と鎌倉幕府との小手指ヶ原合戦ではなく、正平7年/文和元年(1352年)閏2月28日に行われた足利尊氏と新田義宗との武蔵野合戦の一部の争いの小手指ヶ原合戦のことだと思います。
その合戦の際に、ここが宗良親王の御陣所だったそうです。
北野天神社 宗良親王遺跡 北野天神社 宗良親王遺跡案内 北野天神社 宗良親王歌碑

北野天神社 (埼玉県所沢市小手指元町3-28-29)
西武池袋線小手指駅発西武バス小手01・06系統「北野天神前」下車すぐ

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2019年02月28日

北野天神社 その1

比良の丘までいった帰り道に最後に立ち寄ったのが小手指にある北野天神社です。

北野天神社 (埼玉県所沢市小手指元町3-28-29)
西武池袋線小手指駅発西武バス小手01・06系統「北野天神前」下車すぐ

北野天神社は、物部(もののべ)神社・国渭地祇(くにいちき)神社・天満神社の総称で、付近が北野という地名になった由来の神社です
物部神社は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)を祖先とする物部氏に由来する神社。
國渭地祇神社は武勇の神である八千矛命(やちほこのみこと)を祀る。
天満神社は長徳元年(995年)に菅原道真の5世の子孫菅原修成が武蔵守として京都北野神社より勧請し、菅原道真の分霊を祀り、坂東第一北野天満宮と定められています。

正面鳥居前は車通りの多い道路なので注意して参拝へ。
最初の階段を登った先には一ノ鳥居・二ノ鳥居と続きます。
北野天神社正面 北野天神社鳥居

参道を進み、社殿の見えるところまで来るとすぐ右手に力石が置かれています。
かなり大きい石のところが多いのですが、比較的小さめな石でした。
北野天神社力石案内 北野天神社力石

力石の前を進むと拝殿があります。
北野天神社拝殿

拝殿の手前には前田利家お手植えの梅「大納言梅」が植えられています。
撮影した2/17にはまだ数輪しか咲いていませんでした。
北野天神社 大納言梅 北野天神社 大納言梅案内

拝殿の向かい側に神楽殿があります。
北野天神社神楽殿

神楽殿の前には日本武尊お手植えの桜「尊桜」があります。
4度目の蘖生(ひこばえ)とのことですので、相当な生命力のある桜ということですね。
北野天神社 尊桜 北野天神社 尊桜案内

北野天神社境内にはこの他にもいくつかの神社などが合祀されているのですが、そちらは次回お届けします。



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2019年02月23日

中氷川神社(三ヶ島)

比良の丘の帰り道、来た道と別ルートを進むと、中氷川神社に遭遇したので立ち寄ってみました。

中氷川神社(三ヶ島) (埼玉県所沢市三ヶ島5-1691-1)
西武池袋線小手指駅発西武バス小手04・06系統「堀之内」下車すぐ

所沢市三ヶ島にある中氷川神社です。
中氷川神社の創建年代等は不詳。
崇神天皇の代に社託によって勧請、日本武尊東征の際に大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったといいます。
大宮・武蔵国一宮氷川神社と奥多摩・奥氷川神社の中間にあることから、中氷川神社になったといわれています。
所沢市山口にも延喜式式内社の中氷川神社があり、武蔵国四十四座の一つとして名が記されている「中氷川神社」がどちらかは未だ結論が出ていません。ただ、『神祇志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされていることから、三ケ島の中氷川神社が延喜式式内社の中氷川神社だといわれています。

御祭神は、素盞嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命・少彦名命

鳥居です。
三ヶ島中氷川神社鳥居

広くはありませんが、しっかりとした参道がありました。昔は流鏑馬が行われたそうです。
三ヶ島中氷川神社参道

拝殿です。
CIMG11460.JPG

神楽殿です。
三ヶ島中氷川神社神楽殿

参道左手にある日歌輪翁(ひかわおう)之碑です。
詳細は所沢市HPを御覧ください。
日歌輪翁之碑

拝殿前に中氷川神社神官の子女で歌人の三ヶ島葭子(みかじまよしこ)歌碑があります。
俳優の左卜全(本名:三ヶ島一郎)は、異母弟になります。
「春の雨 けぶる欅の梢より をりをり露の かがやきて落つ」
歌碑

拝殿の右手に、奥から稲荷神社・神明社 / 八坂神社 / 山王社があります。
稲荷神社と神明社です。
中氷川神社の稲荷神社と神明社

八坂神社です。
中氷川神社の八坂神社

山王社です。
中氷川神社の山王社

その奥に柵に囲われた神木の欅の根元が保存されています。
この欅は幹回りが約8mの巨木あったが、戦後間もなく暴風雨によって倒れて枯死してしまったそうで、根元の部分が保存されています。
中氷川神社の御神木の欅



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2019年02月20日

三ケ島稲荷神社

今回は、砂川遺跡都市緑地のすぐ近くにある三ヶ島稲荷神社をお届けします。

三ヶ島稲荷神社(埼玉県所沢市三ヶ島3-885-1)
西武池袋線「狭山ヶ丘」駅西口より徒歩約29分
大日堂バス停から徒歩2分

三ヶ島稲荷神社の創祀年代は不詳。
1775年(安永4年)に京都の伏見稲荷大社から御神霊を拝受し、明治の神仏分離令を受け明治8年に移転するなどした後、1951年(昭和26年)に、元湯殿社のあった地(旧照明院境内)の隣接地である当にへ遷座したといわれています。
ご祭神は倉稲之御魂神(ウカノミタマノカミ)で、五穀豊穣をもたらす神様です。
三ヶ島稲荷神社御由緒

鮮やかな朱色の鳥居です。
遷宮50周年を記念して2003年に建立されたものだそうです。
三ヶ島稲荷神社鳥居

拝殿です。
三ケ島稲荷神社拝殿

裏手には享保4年(1719年)造立のお地蔵様が安置された地蔵堂がありました。
三ケ島稲荷神社地蔵堂

地蔵堂の正面の交差点には庚申等と供養塔がありました。
弘化3年(1846年)造立の庚申塔 です。
三ヶ島庚申塔

月山坂東三拾三番・湯殿山西国三拾三番・羽黒山秩父三拾四番 奉納供養塔です。
三ヶ島三山供養塔



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2019年01月14日

荒幡の富士(荒幡浅間神社)

今日(1/14)は所沢の名所に行ってきました。
それが荒幡富士(荒幡浅間神社)です。

荒幡浅間神社は、所沢市荒幡にある浅間神社です。

荒幡富士(所沢市指定文化財)
旧荒幡村には昔から浅間神社のほか、三島・氷川・神明・松尾の各社がまつられていたが、明治五年の社格制定で浅間神社が村社に列せられ、三島神社以下は無格社となった。そこで村内の統一と民心の安定をはかるため、明治十四年九月村内浅間久保にあった浅間神社を西ヶ谷松尾神社の地に移し、それと共に三島神社以下を浅間神社に合祀することになった。
そのため浅間神社の傍にあった荒幡富士講信仰のシンボル富士塚も移転構築することとなった。そして以前の塚の幾十倍も大きい富士塚が明治十七年に起工し、同三十二年に竣工した。これは村内の氏子・信者はもとより、近隣の村々の有志も加わって営々として築きあげたものである。かくて荒幡富士は村民の心の大きな拠り所となり、かつ近郷近在に誇る最大級の人工の富士となった。このことは登山道の入口にある大正十年建立の文人大町桂月撰文になる荒幡新富士築山碑に明記されているところである。(所沢市教育委員会掲示より)

荒幡浅間神社の鳥居前から眺めました。
荒幡浅間神社 鳥居より

浅間神社社殿とその後ろの荒幡富士です。
荒幡浅間神社と荒幡富士

荒幡浅間神社社殿の裏手の登山口です。
荒幡浅間神社裏から荒幡富士

荒幡富士の山頂から東京スカイツリーが見えました。
左横の高いビルはサンシャイン60だと思います。
荒幡富士から東京スカイツリー

posted by ブドリ at 23:01 | Comment(5) | .所沢 寺社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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