今回の絵本・児童書(童話・児童小説)は宮沢賢治の双子の星をお届けします。
童話「双子の星(雙子の星)」は、童話「蜘蛛となめくぢと狸」と共に1918年8月頃に創作された最初の童話の一つとされています。
この童話は2章からなっています。今回は1章を簡単にご紹介します。
チュンセ童子とポウセ童子は夜になると、お宮に座って、空の星めぐりの歌に合わせて、一晩笛を吹くという役目がありました。
太陽が昇って明るくなると空の舞台の演奏をおえ、歌い手や演奏家たちは定位置を離れて、気晴らしに出かけます。
チュンセ童子とポウセ童子は西の野原の泉に遊びにいくのですが、この泉で、水を飲みにきた大烏の星とさそりの星のけんかがおきてしまいます。
さそりは頭に深い傷を受け、大烏は毒のかぎでさされて倒れてしまいました。
「さそりの血がどくどく空に流れ、いやな赤い雲」になりました。
双子の星は、大烏の身体に入った毒を吸い取ったり、さそりの傷口を泉の水で洗ったりと介抱してあげます。
笛を吹かなければ、天の王様に叱られてしまいますが、空にさそり星がいなければたいへんだと、優しい2人は笛を吹く時間を過ぎても、重い蠍を運び続けます。
王様は2人の優しさをご覧になっていて、稲妻を使いに寄こし、意地悪だった自分をすっかり反省したさそりに薬を与え、稲妻にチュンセ童子とポウセ童子を2人の宮に送り届けさせます。
チュンセ童子とポウせ童子は「水晶のような流れをあび、匂いのいい青光りするうすものの衣を着け、新しい白光りの沓(くつ)」をはいて、すがすがしい気持ちになっていつもの定位置に戻ります。
「二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんと座り銀笛をとりあげました。丁度あちこちで星めぐりの歌がはじまりました。」
無邪気でいて、優しくて、素直で。
今の時代、このチュンセ童子やポウせ童子のような子供がいたら生きにくいのではないか、そう思ってならないのです。
そもそもゆとり教育の間違いは、本来のゆとりとは人間的なゆとりをもたせることであって、他人への思いやりや自分で考えて行動するなどの人間としてのゆとりをもたせることであるはずなのに、ゆとり=時間的なゆとり・難度を下げるゆとりとしたことが間違いなんですよ。
それなのに先生には時間的なゆとりがない。時間的なゆとりがなければ授業に工夫はできないし、子供に目はいかない。それでいて責任ばかり追求される。
それをまた授業時間を増やしてあれもこれも詰め込んで、成績を上げろという方向になってしまっています。
子供にも先生にも必要なはずのゆとりが犠牲にされていくんですよね。
今打ち出されている日本の教育の方向性って、
効率的で、画一的で、ずる賢い
そんな子供を生み出そうとしているようにしか思えないんですよ。
けっしていじめは無くならないと思います。
今は立ち止まって焦らずにじっくりと考えるべき時だと思います。
「成績こそ、一番じゃなきゃダメなんですか?」と問いたい。
少子化の時代だからこそ、今まで以上に多様性を認め、たくさんの「オンリーワン」を生み出す教育が求められるのではないか。
宮沢賢治の童話を読んでいると、いつも子供たちの教育について、未来について考えてしまいます。
この童話に登場する「星めぐりの歌」を宮沢賢治は自分で作曲しています。
Youtubeで検索するとたくさん出てきますのでぜひお聞きください。
また、この星めぐりの歌は昨年公開された高倉健主演の「あなたへ」の中で田中裕子さんが歌っていたそうです。DVD&ブルーレイで販売・レンタルされていますのでこちらもご覧ください。
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