ほぼ毎朝5時半頃から約1時間ウォーキングをしているます。
一昨年の8月から始めたのでまもなく丸2年。
ただ、今の季節は花・植物写真、野鳥写真や朝の月見の写真を撮ったりして、ウォーキングのペース?とあやしいのですが、とにかく毎朝頑張ってウォーキングを続けています。
日の出の時間が早くなってきて、梅雨の頃になると楽しみな光景があります。
それが木漏れ日です。
年がら年中見られるのですが、湿度が上がり空気中の浮遊物が増えると光がたくさん乱反射してッきれいに見える日が多くなるようなきがするのがこの梅雨時です。今回お見せするのは梅雨入り前の5月の雨上がりの朝に撮影した木漏れ日です。
木漏れ日が差していると、通る人がいないタイミングを狙って撮影しています(つまり立ち止まって待ってます)。5月中に撮影した写真と今朝撮影した写真をカーソルを乗せてご覧ください。
今朝はタイミングよく走ってきてくれたので一緒に撮影しちゃいました。


降り注ぐ光が植え込みを照らしています。写真にしてしまうとちょっとわかりにくくて残念(--;)
たくさんの人がウォーキングやランニングをしていて、撮影していると気にする人がいるのですが、私が何を撮影しているのかはわからなかったみたいですよ。

シラカバの林を抜けて降り注ぐ光です。この白樺林の中で日差しを浴びながら深呼吸したり簡単な体操をしています。

クスノキの間からアチラコチラに光が降り注いでいます。光の矢のようでもあり、光のシャワーのようでもあり、光の弦でもあるようです。
カーソルを乗せ、クリックしてご覧ください。
この写真の右の方のクスノキのさらに奥にも光があふれているのがわかりますか?
ここはもう民家との境なのですが、光が降り注ぐとっておきの場所なんですよ。
カーソルを乗せ、クリックしてご覧ください。

いつもの場所も、ちょこっと条件が変わるだけで特別な場所に変わります。宮沢賢治はこういう風景を見て、音に変えて声に出し、あの独特なオノマトペ(擬音語や擬態語)を産みだしたんだろうなと感じます。
宮沢賢治の『注文の多い料理店』序にはそのことが書かれています。
『注文の多い料理店』序
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃(もも)いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹(にじ)や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾(いく)きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
最近、「ゆとり教育は失敗だった」「学力低下したから教育改革だ」「もう一度詰め込み教育だ」「技術立国日本の再生だ」などと、政治家はほざいています
テストの点数だけでは人の心はわかるようにならないし物は作れない。
考えるゆとり、創造するゆとり、感動するゆとり、教師も子供も触れ合えるゆとりが必要だと思う。
でも、教師の時間的なゆとりを奪い、教育を政治利用出来る方向へと転換した安倍内閣が再登板して、本当のゆとりは全く考えられもしません。
次代を担う子供たちが政治に振り回されて可哀想でなりません。
少子化の今だからこそ、学力だけではからない本当の教育を考えて行く時でもあり、それが出来る時だと思うんですよね。
これを思うとき、宮沢賢治が必ず思い浮かびます(まぁ、私の中には宮沢賢治しかないんですけど)。
100%正しいとは言いませんが、いろいろな場面で参考にして損はないものをたくさん残してくれています。
たくさんの人に、
宮沢賢治の作品を読んで貰いたいそう思うこの頃です。
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