2016年06月29日

長谷山本土寺

もう3週間近く前の事になりますが、6/11(土)に松戸市にある長谷山本土寺に紫陽花と花菖蒲を撮影に行ってきました。

今回は本土寺の紹介、次回は紫陽花、その次は花菖蒲をお届けする予定です。

長谷山本土寺
本土寺は元々日朗・日像ら日蓮門人を輩出した平賀忠晴の屋敷跡と伝えられ、後に日蓮の支援者であった千葉氏家臣曽谷教信が法華堂を建立したとされている。後に日朗が本土寺として開堂供養したのが起こり。
本土寺は、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本」(さんちょうさんぼん)(新潟県三条市の長久山本成寺を含めて四長四本ということもある)と称されている。「朗門」とは日蓮の弟子日朗の門流という意味であり、「三長三本」とは、上記3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」の字が含まれることによる。
近年、境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め「あじさい寺」として親しまれている。

JR北松戸駅からまっすぐ。紫陽花の時期は人の流れが絶えないのですぐに分かります。
本土寺の仁王門です。
間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式。
参道の正面に「長谷山」の扁額を掲げた朱塗りの高楼。
慶安年間(1648から1651)、日慧上人の発願による建築。
階上には金色の千体佛が祀られている。
本土寺の仁王門

参拝料500円(大人)を納めて境内に入るとすぐ右手にあじさいの奥に五重塔が見えます。
平成三年に、日像菩薩六百五十遠忌記念として建立される。
高さ18m、中にインドのネール首相より贈られた真仏舎利の一粒を納め、
千体佛と共に祀られている。
紫陽花と五重塔

五重塔の前の階段を上って行くと左手に鐘楼堂があります。
二間四面、茅葺。
梵鐘は建治四年(1278)の鋳造銘があり、県下第二の古鐘。
昭和五十二年に国重要文化財に指定され、
実物は宝物殿の中に保管されている。
鐘楼

紫陽花に囲まれた階段をあがると本動画あります。
間口八間、奥行十間、木造銅板葺、御本尊は一尊四士。
慶安四年(1651)に小金城主一族の恵了院日修が息女の菩提を祈って
造立したと記録されている。
もともとは祖師堂であったが、明治十五年宗祖六百遠忌に場所を移し本堂とし、
昭和五十二年宗祖七百遠忌に時に五間四面の拡大改造され今日に至る。
本堂

本堂に続く階段の下右手に、翁の碑があります。
江戸時代の文化元年(1804年)に行われた芭蕉忌を期して建立されたものです。
翁の碑

本堂右手に順路とあるのでそちらに進むと、歴代座主の墓地の手前に徳川家康の側室だった秋山夫人(下山殿)の墓があります。
『秋山夫人は甲斐の武田一族である秋山虎康の娘で、15才で徳川家康の側室となり、名を於都摩(おつま)の方または、下山の局と称され、家康の第5子万千代君を生んだ。万千代君は後に、武田信吉を名のり天正18年(1590)に、小金城三万石に封ぜられた。秋山夫人はその翌19年10月6日、小金で病死した。現在の墓石は信吉の甥、徳川光圀(水戸光圀)が貞享元年(1684)に建立したものである。』(案内板より)
秋山夫人の墓

順路にそって進むと菖蒲池があり、菖蒲池を見晴らすように本堂側から妙朗堂を経て像師堂まで続く渡り廊下があります。
菖蒲池と渡り廊下

まだまだご紹介したいお堂はありますが、次回の紫陽花とともにお届けします。
このように見所満載の本土寺です。
ぜひ足をお運びください。

参加しています。もしよかったらポチッとお願いします
 にほんブログ村 写真ブログ 心象風景写真へ blogram投票ボタン
posted by ブドリ at 21:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 名所・旧跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック